« 2008年6月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月24日 (水)

親、子、地域をつなぐ仕組みが必要だ

立て続けに幼い子供が犯罪被害に遭い命を落とすというショッキングな事件が起こりました。

福岡で起きた事件は、母親が子供を殺めてしまったということです。

母親の供述が明らかになるにつれどうにもやるせない気持ちに陥ります。

子供の発達障害に悩み、母親自身も体が不自由であったとのことです。

事件のあった日、トイレに行った際、介助を子供に頼んだところ断られ、なじられ衝動的に犯行に及んだとのこと・・・。

今の時代、かつては聞くことのなかった発達障害や、アレルギー、アトピーなど、子供の病は多岐にわたり、またその治療法も十分に確立されていません。

親の精神的、肉体的疲労、悩みは当事者にしかわからないものなのかもしれません。

今回の事件も、自身の体調への不安と共に、将来に悲観的になってしまった親の早まった犯行とも取れます。

果たして今回の犯人に何でも相談できる身内や友人、地域のひとがいたのでしょうか。あまりにも辛く大きな悩みに一人で立ち向かい、その結果取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないでしょうか。

昔のように、大家族で生活する家庭は少ないでしょうし、隣近所の付き合いも親密ではありません。

学校の親同士のネットワークはどうだったのか。子育てに悩む親に対して行政の支援はどの程度行き届いているのか。

かつてのような家庭や地域のつながりが薄れ、なくなってしまった今、それに代わり求められるは社会の仕組みです。

こんな悲しく悲惨な事件を起こさないためにも、人と人とのつながりを創り出す社会の仕組みを行政のみならず、地域住民や子供を持つ親たちが真剣に考えるときです。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2008年9月17日 (水)

農商工連携

先日、JC時代の先輩であり友人でもある方と夕食を共にする機会がありました。

現在政治家を目指して秘書をされていますが、そのお話のなかで政治家や官僚が熱い思いを持って作った政策が県や市町村に来るに従い、その熱が薄らいできてしまっているというお話を聞きました。

どんな施策があるかと伺ったところ、私たちの住む農村にとって大きな意味を持つであろうものに、農林水産省が作成した「21世紀新農政2008」を教えてもらいました。

特に目を引くものとして「農商工連携」があります。

地域の中小企業者と農林漁業者が連携し、新しい商品やサービスの開発をすることに対し、税制や資金面での支援措置がされるというものです。

食糧自給率の向上や、環境面教育面からの農地里山の保全、地産地消の取組が叫ばれ、経営感覚を持った農業の必要性が増す時代において、商工業者と農林漁業者が連携して地域産業を創造していくことは、大きな可能性を秘めているはずです。

しかし地域の商工会や商工会議所では、その名のとおり農業者は範疇の外の存在でした。それでも農商工連携のマッチングができる環境を整えていくことは、地域生き残りにとって必要です。

今や政治家とか官僚というと、バッシングの標的ではありますが、その中でも真剣に情熱をもって国を思う人たちの取り組みと、私たちの住む地域がリンクして、いい国、いい地域づくりにつなげられればと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年9月16日 (火)

愛されるよりも愛することを

この週末、私にとっては兄貴分様な先輩のご子息の結婚披露宴に招待されました。

アットホームな雰囲気で、笑いあり、涙あり、楽しいパーティーでした。

新婦がお勤めされていたキリスト教系幼稚園のシスターのご挨拶が心に残りました。

この幼稚園の由来ともなっているイタリア・アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」の後半を引用され新郎新婦の門出をお祝いされました。

人の世に生じる諍いや憎しみから希望は生まれません。

いま私たちが直面する様々な課題に向き合うとき、今一度この言葉を心に刻み、人と接していきたいと思います。

結婚式という喜ばしい場に立ちあわさせていただき、心洗われる言葉を聞かせていただきました。

**********************************************

主よ、わたしを平和の道具とさせてください。

わたしに もたらさせてください
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

**********************************************

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年10月 »