2009年1月22日 (木)

住みよいまち

飯島中川政経人会議の下平理事長さんがあるコラムで「住みよいまちの5つのキーワード」を挙げられていました。

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「医」 近くに充実した医療施設があって緊急時も対応ができること。
 
「食」 地場産業が盛んで仕事があり、この町で食っていけること。

「住」 自然が豊富でインフラが整った住宅環境があること。

「教」 快適な教育施設と、地域と連携した教育環境があること。 

「楽」 たまにはおしゃれして、文化的な刺激が楽しめること。

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わが町はどうかと当てはめてみますと。

「医」 

充実した医療施設の代表は駒ヶ根市の昭和伊南総合病院。

しかし、整形外科、産婦人科の常勤医師の不在や病院全体の医師数不足として、救命救急センターとしての機能は不十分と県の機関から指摘されています。地域の出産はここが拠点でありましたが、今やそれ伊那市か飯田市へ行かないとなりません。

病院施設の充実が無理なら、それらへのアクセスを容易にする交通網の普及やまち医者の体制を充実が必要です。

「食」

地元に働く場所がないのは今に始まったことではありません。

建設業や製造業に代わる新しい地場産業の創出は急務です。

「住」

住環境は、とてもよい地域なのではないでしょうか。

この地域の自然の素晴らしさを求めてIターンする人もいます。

そういった人々の誘致活動を積極的に行い、またややもすると閉鎖的と言われる地域性を見直し、新しく地域に来られた人たちを招き入れる住民のコンセンサス作りも必要です。

「教」

保育園から始まり中学校まで、行政も子育て支援には力を入れています。

また、生涯学習への取り組みも盛んです。

教育委員会内に設けられた「こども課」の設置に見られるように、子育てしやすい仕組み作りと、教育施設は今後も向上するのではないでしょうか。

また、地域のこどもは地域のみんなで育てるための実践も、もっと盛んにしていきたいですね。

「楽」

「たまにはおしゃれして」というのはいいですね。

文化的な催しやパーティーなども刺激になりますし、心のリフレッシュもできますから。

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2008年6月17日 (火)

保育園のありよう

町の保育審議会に出席しました。

子供の通う保育園の役員をやっているので、今年一年審議委員を務めます。

といっても、よく事情も分からずお受けし、出席したので、何が審議課題なのかよく理解できないままに終わってしまいました。

会議が終わってみてからあんなことやこんなこと聞いてみたかったなあと、遅ればせながら思い浮かんできます。

保育園は、もちろん仕事などの理由で子供を見られない親が保育を委託する場です。

そこに何ら教育的意義は存在しないと思います。

しかし、昨今の社会状況を見るにつけ、子供たちが育つ環境~家庭・教育現場・地域~のゆがみ根本原因と思われる事件などが目につくようになっています。

経済的状況から図らずも、子供を早朝や夜間などに預ける「延長保育」の利用も増加しています。

親と子が一緒にいる時間が減り、保育園にいる時間が増えています。

もちろん家庭にしか担えない大切な意義はありますが、現状を踏まえ、保育園を教育現場として位置づける必要性は増しているのではないでしょうか。

特色ある保育理念を構築し、実践する保育園作りが、幼児期の子供たちに大きな影響を及ぼすことは疑う余地がありません。

一方で、「あんな保育園に子供を通わせてみたいなあ」と親に思ってもらえる保育園になることは、町外からの入園にも門戸を開くことで、一層の組織的、財政的基盤を築くことにもつながりはしないでしょうか。

明確な理念に基づき、ここだけにしかないことをやることは、地域づくりにとっても欠かせません。

子育てと地域づくりの両立が保育園を舞台にできるのではないでしょうか。

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2008年3月 5日 (水)

消防団員の確保

飯島区の地域づくり委員会で来年度の活動計画が協議されました。

そのひとつに消防団員の確保に向けての協力が挙げられました。

毎年4月の新年度前になると新入団員の勧誘が行われます。一応消防団員にも定年はありますが、新しい団員が入ってこないと、定年といってもなかなか辞めることが出来ません。

地域に消防団員の対象年齢者が少ないということが大きな要因のようです。しかし、聞くところによると勧誘に行っても入団の同意が得られないケースも多いようです。なかには、本人と話をする前に家族が断ることもままあるとか。

消防団員は、その任務に危険も伴うため「非常勤の特別職の地方公務員」という立場が与えられています。報酬もでます。しかし、緊急時の災害や火災時の出動、行方不明者の捜索、火災予防活動、各種訓練など基本的にはボランティアとしての参加といってよいと思います。行政の消防本部だけでは対応しきれないこともありますので、消防団は地域にとって欠かせないものであり、また頼りになる存在です。

その消防団員に地域住民が積極的に参加しない状況が生まれています。

先日のNHKラジオで消防団員の確保について興味深いコメントがありました。

企業に消防団員への参加を呼びかけるというものです。

平日昼間のなどは、町外へ勤務している消防団員も多く、全員が緊急呼び出しに駆けつけることはできません。そういう意味でも、町内企業から団員を確保するというのは意味のあることに思えます。

また、NHKの解説では、会社ぐるみで消防団活動に協力している企業の声として、『消防団などで鍛えられた社員は、組織の中で働くことの重要性を学ぶことができ、会社にもメリットがある。また、日頃から火の元の確認に気を配ってもらえれば、会社の危機管理にも役立つ』と紹介していました。

まったく同感です。

知り合いの経営者の方からかつてこんなお話を聞いたことがあります。

その方は、社員さんには積極的に消防団活動に参加し、またそのなかで役職をどんどん引き受けるよう薦めておられます。それは、消防団を通して地域に貢献している人材が多ければ多いほど、地域はその人たち=企業を見放すことはないというお考えからでした。

なるほど、そのとおりだなあと感銘したのを覚えています。

一見、地域活動に参加することと企業活動は別のようにも見えますが、見えないところでしっかりとつながっているのだと思います。

地域住民間のつながりや、コミュニティの希薄化が叫ばれる中、消防団員の確保は、柔軟な発想で地域みんなが関心を持って取り組んでいくべき課題です。

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2008年1月 6日 (日)

どんど焼き

地区のPTA活動でどんど焼きをしました。

Dondo

朝、竹を切り出してから子供たちと門松やしめ縄を集めて、準備をしました。

夕方再び集まって、火をつけました。

お餅を焼いて今年一年の無病息災を祈ります。

私が小学生の時は、早朝に集まって寒さの中どんど焼きをしたことを思い出します。

田んぼの中で大きな火をつけて楽しい行事を行える環境が今も残っているのっていいですね。

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2008年1月 5日 (土)

駒ケ岳ロープーウェイ

お正月休みは家族とゆっくり過ごしました。

今日は、駒ケ岳ロープーウェイで駒ケ岳に登りました。菅の台からしらび平までのバスは約30分。ロープウェイで約7分。千畳敷駅に到着です。

途中、猿やカモシカもみられ、子どもたちは大喜び。千畳敷駅周辺は一面銀世界。外気温マイナス11度で時折吹きつける吹雪もあり外に出るのもやっとでしたが、眺望はほんとうに素晴らしいものでした。

Houken_2 

南アルプスの向こうには富士山も望むことができました。

決して優しい自然環境ではありませんが、身近にそして手軽に、こんな美しい光景を感じられる場所があることは、改めて地域の大きな資源と実感します。

駒ヶ根市には、毎年120万人近くの観光客が訪れます。中央アルプスの大自然を感じてもらうだけでなく、地域の里山やそこで暮らす人たちの暮らしをも体感し、感動と喜びをこの地で味わってもらえるような事業の必要性を改めて感じます。

宝剣岳の身の引き締まるような厳しい美しさと、遠く望んだ富士山を家族とともに観てこの新しい一年への思いを深めました。

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2007年12月26日 (水)

「民が立つ」を読んで

信濃毎日新聞社編集局編の「民が立つ 地域の未来をひらくために」を読み終えました。

2006年から1年半に渡り連載された企画が一冊の本になったものです。

田中県政の誕生以降、長野県民の地域づくりに向けた取り組みと苦闘が丹念に綴られています。そこには、行政や政治家に任せていれば地域が運営できていた時代とは明らかに違う現状がまざまざと描かれています。

それは、国や地方の財政状況がより厳しくなる中で、財政的に自立せざるを得ない状況に追い込まれた地域の苦闘する姿でもあります。そのなかで、富める地域とそうでない地域の格差が広がります。

最終章は「克服」というテーマからなり、取材に当たられた記者の目から見る解決策が提示されます。『話し合う』、『知る』、『つながる』、『学ぶ』。「民が立つ」ために必要なことは何か。長野県内外を精力的に歩き回った人だからこそ伝えられる大切な提言です。

この本を読み終えて、改めて感じます。

もう誰にも頼ることは出来ない。政治家も、国も、役所も助けてはくれない時代です。

まちは、そこに住む民が自らが創っていく時代なのだと。

その民とは、私自身。

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2007年11月30日 (金)

脱飯

宮澤さんとの語らいの続きです。

会のまとめで監事さんがこんな話をしてくれました。

坂本竜馬は自らが所属していた土佐藩を脱藩し、江戸に移り活躍し、薩長同盟に貢献しました。しかし再び土佐藩と関係を結び海援隊を創設しました。

この話を引き合いに、飯島の企業も「脱飯」(だっぱん)する気で取り組んだらどうかということでした。飯島の飯は「はん」とも読みますから、うまく脱藩に掛けたわけですね。

飯島の内から見るだけではなく、外から見ることで自分たちのおかれている環境や、これから取るべき方向が見えることがあります。

私も青年会議所での活動で、伊南(宮田村、駒ヶ根市、飯島町、中川村)という視点でまちづくりを考えてきました。青年会議所は長野県、日本というくくりで活動することも出来、そういった広い視野で物事を考え、見つめた経験は、飯島を中心に生活し仕事をしているだけでは得られないものでした。

宮澤さんはまさにそのようなお立場でお話をしてくださいましたし、幹事さんもその点を分かりやすくまとめてくださいました。

飯島をよくするために、「脱飯」せよというのは面白いですね。

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2007年11月29日 (木)

宮澤さんと語る

青年会議所の飯島町、中川村の会員、卒業生からなるJCいいなか会という会があります。

私が事務局をしているのですが、この会で先日「宮澤さんと語る会」という催しを行いました。

宮沢フルート製造株式会社の宮澤正会長をお招きして飯島、中川の現状と未来についてご講演をいただき、食事をしながら懇談しました。

宮澤さんは飯島町の出身で、高校中退後、上京され、その後に現在の会社を設立されました。

飯島町に対する思いは、ある意味町民以上で、学校へのリコーダーの寄付をはじめ、町への貢献は大きなものがあります。町のふるさと大使も務められ、PRもしていただいています。

飯島町の現状については厳しい批判もありました。

自主財源が減るなかで、人口の増加がなければどうにもなりません。にもかかわらず、現在の飯島町状況は、たとえば駒ヶ根市に比べて他地域の人が移り住みにくいということを、ご自身の経験もふまえてお話くださいました。

行政に、企業やIターンしようとする人を受け入れる体制が出来ていないこと。いまだ残る排他的な社会。

これでは人は増えないと明言されました。

企業誘致を掲げながらも駒ヶ根市の格差は歴然としており、これも無理だろうとのこと。

そのような状況の中、一体飯島町はどっちの方向を向こうとしているのか問いかけられます。

宮澤さんは先日コスタリカを訪問され、そのお話もしてくださいました。

コスタリカは自然を利用した観光事業が大きな産業です。

アドベンチャーツアーに参加し、ガイドに車で70キロ走るのに3時間かかると言われ初めは驚いたそうです。700キロの間違いでは?と思われたそうです。いざ、出発してみると大変な悪路で道路が舗装されていないところだったそうです。

自然を題材として観光事業を展開するコスタリカでは、あえて道路を舗装せず、ありのままの自然や動植物を見せています。それは、自然と共生することで地域の産業を発展させるコスタリカの目指す方向といえるでしょう。

宮澤さんは、飯島の発展材料は工場誘致ではなく、自然からしか得られないと断言されました。

コスタリカのエコツーリズムについてはかつて柳生博さんからもお伺いし、とても興味を持っていますが、期せずして宮澤さんからもこのお話を伺えたことは、「持続可能なまちづくり」の方向性が間違っていないことを再確認する機会となりました。

飯島に生まれ、飯島を離れ、事業で成功を収められ、そして今「この町がいい町になるために何が出来るか」と再び飯島にフォーカスされている宮澤さんのお姿に感銘しました。同時に、そんな宮澤さんとお話しする機会を得たことは、この町に住む責任世代として、、「お前たちが行動しなければどうするんだ!」と励ましてもらった気持ちになりました。

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2007年11月27日 (火)

ぱてぃお大門

週末に家族で善光寺へ行ってきました。

善光寺の参堂は短いので少し手前に車を止めて、ゆっくり歩きながら行こうと駐車場を探しました。TOiGOからからみると善光寺はずっと向こうです。子供連れで歩くには少し遠い気もしました。オリンピックの表彰式会場の駐車場もまだ遠い。もう少し近づいて、大門という交差点にある駐車場に車を止めました。ここからだと、程よい散策をしながら善光寺に向かえます。

参拝したあと、大門の交差点角にあるぱてぃお大門蔵楽庭で食事をしました。

以前、長野の友人に連れて行ってもらったことがあったので行ってみました。使われていない蔵を再活用し、レストランやカフェなどが連なり営業しています。

こじんまりとしていますが、特色のあるお店が入っており、見ていて楽しくなってきます。

信濃毎日新聞社が昨年連載していた「民が立つ」が一冊の本になり読んでいるのですが、ちょうどそこに「ぱてぃお大門」がどのように立ち上げられたかが記されていました。

もともとは、道路を挟んで反対側に「パティオDAIMON」が地元商店主らによって計画されていたようです。しかし、用地取得の交渉が思うように行かず、また資金難にも直面し、その事業は市や商工会議所が立ち上げたまちづくり機関「まちづくり長野」が担うこととなりました。その結果、地元商店主の思いよりも採算重視の開発計画が取り入れられ、地元の思いと必ずしも一致しない事業となったとのことでした。

しかし、地元主体だったら事業化すらおぼつかなかったかもしれないというジレンマもそこにはあります。

行政からの指導ではない、市民自らが推し進める「下からのまちづくり」の必要性が言われる一方で、その難しさを突きつけられる事例です。

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2007年11月26日 (月)

子ども広場

先日の飯島区地域づくり委員会で説明があり、またワークショップの中で話題にもなったのが、「子ども広場」です。

飯島町教育委員会が進めているもので、既に七久保地区では実施されています。飯島・田切・本郷地区での開所に向けて検討中とのことでした。

実は、この事業の担当者が私の同級生のH君です。今年は彼とも同窓会の準備でよく顔を合わせたので、七久保の子ども広場の話は聞いていました。

放課後の小学生を、地区の公民館などに集めて、その地区のお年寄りがボランティアで子どもの面倒を見るシステムです。面倒を見るといっても、お年寄りの知識や経験を遊びを通して子どもたちに伝えていく場となっているようです。

この話を聞いたときに、数年前に青年会議所の仲間と取り組んだ「地域の先生」運動や、「地域共育」による青少年育成活動を思い浮かべました。

学校では教えられない人生の知恵や生きる力を、お年寄りの人生経験を元に子どもたちに伝えていくことは、何にも増して重要です。

テレビゲームでしか子供同士で遊ぶことの出来ない子どもたち。

安心して、屋外で子どもだけで遊ばせておけない周辺環境。

そんな状況を打開するのに、子ども広場は大いに有効でしょう。

しかしそれ以上に、経済最優先の戦後日本の繁栄の影で、世代間で伝えられるべき本当の豊かさが伝えられずにきてしまった事実を見直し、もう一度お年寄りから子どもへ伝えるべきことを伝えていく場となる、大きな可能性を秘めたものとなることでしょう。

それは、子どもたちに多くの学びの場を提供するだけではなく、お年寄りにも「生きがい」や「張り合い」をもたらすはずです。

残念ながら私たち子供を持つ親の世代は、経済活動優先の社会の歯車の中で身動きが取れないのが現状です。そしてまた、本来私たちが子どもに伝えていくべき生きる力を、私達の親から学んでいないこともあるでしょう。

すべては、この国の経済発展の影で物質的な豊かさを追い求め過ぎた結果、途切れてしまったつながりだと思います。

もう一度、世代間で伝えるべきことを伝えるためのつながりづくり。「子ども広場」はそのための大いなるチャレンジであるはずです。

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2007年11月23日 (金)

地域づくり委員会

飯島区の地域づくり委員会に参加しました。

この夏に、住民が主体的に地域づくりを考え行動する協働のモデル作りを趣旨に設立された委員会で、私もこの委員に任命されました。

設立後初めての委員会となりましたが、今回は地域の課題や、地域への思いを抽出するワークショップとなりました。

およそ50名からなる委員会は、区内の地区役員や団体代表などから構成され、平均年齢はざっと見たところ50歳後半から60歳くらいといったところでしょうか。

アイスブレーキングを慣れないながらも、生真面目に進行される役員の方の姿に、失礼ながらほほえましさを感じます。

ワークショップは、KJ法を用いて、参加者が飯島区、あるいは飯島町に対して抱いている課題や、率直な感想を抽出していく方法で進行されました。

声の大きな人がどうしても目立ってしまいがちな感はありましたが、それでもそれぞれの思いが素直に語り合えるとてもよい機会となりました。

保育園の保護者会を代表して来られている方のグループでは、ある意味切実な飯島町の保育園運営への声が聞かれました。比較的高齢の方が多いので、地域の安全や子育てについては、昔の地域の習慣や暮らしぶりを懐かしむ声も聞かれました。

多くのテーマについて、多くの要望や、意見、提言が浮かび上がってきましたが、これをまとめ具体化し、実行していく作業は難題です。

住民としては、まず目前にある地域の課題をどう解決していくかを自ら決め実行していくことが求められます。

同時に、明確な地域のビジョンに向かって、長期的にそれぞれの課題解決を目指す大局的な取り組みがあってこそ、住民と行政との協働は真に機能してくるのだと思います。

忙しいばかりの役場職員の実態から行政の企画立案能力の低下が懸念される中、地域の舵取りをも、民間の主体的な参加が必要な時代です。

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2007年10月30日 (火)

お墓の係

先日ご近所にご不幸があり、隣組でお葬式のお手伝いをしてきました。

私は、お墓の係です。

穴を掘ったりして大変な作業のときもあるようですが、今回はお墓の周りをお掃除するくらいで済みました。

お墓の係になると、お弁当とお酒を頂いき、相方の人と一緒にお墓の横で飲み食いします。

普通にはないシチュエーションなのです。不謹慎な言い方かもしれませんがこれがなかなかいいひと時が過ごせるんです。

亡くなった方のお父さんやお母さんが墓誌に刻まれています。またその周りには、文字が風化して見えなくなってしまったような古い墓石もあります。よくよく見ると聞いたことのないような元号で、きっと江戸時代に亡くなった方なのだなと、思いをめぐらせます。亡くなられたご本人は私の祖父母の世代なのでほとんど存じ上げませんでしたが、お墓係というご縁で、故人やそのご先祖様とのつながりにつくづく思いを馳せることができます。

人の一生の重さ、過去から今にいたる人や家族のつながり、そして今ここに生きていられる喜びを実感します。

陽の光がぽかぽかと降り注ぎ、お酒も程よく回って相方の方との会話も弾み、ありがたい時間を過ごさせていただけたと感謝しました。

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2007年9月17日 (月)

奉納花火

15日に地元の梅戸神社で秋祭りが催されました。

本年厄年の私は厄年に当たる同窓生の仲間と共に奉納花火を打ち上げました。

実は厄年といっても何か特別なことをしているわけではないのですが、これを機に中学校の同窓会を開いたり、こうして花火を打ち上げたりと幼なじみの旧友たちと親交を深める機会がとても多くなりました。

奉納花火は、例年氏子の厄年に当たる人たちが集って上げているようです。私たちも、厄払いの意を込めて人集め金集めに奔走し、何とか花火を上げることが出来ました。

15日の夜も、花火会場で私達のスターマイン大花火を堪能した後、遅くまで皆で大騒ぎをしての飲み明かしました。

厄年ですから40歳を迎え、健康に十分気をつけ、不摂生を自戒しています。一方で、多くの古い友人たちとの再会を機に、新しい元気ももらっています。

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2007年7月30日 (月)

身近なお祭り

28日はとても暑い一日でした。

毎年7月の最後の土曜日は飯島町のお陣屋祭りと決まっていたのでしたが、今年からはお祭りが取りやめになったために、いつもの夏とは少し違う様相でした。

それでも私の住む「南町耕地」では、毎年お陣屋祭りに合わせて地区のお祭りをやっており、ことしも地域のみなさんが手作りでお祭りを行いました。

コミュニティセンターを会場に、流しそうめんや三角くじ、輪投げ、さまざまな飲食コーナーなどが軒を並べました。御神輿も展示され、お祭り気分が高まります。

Minami

私もこの地区に生まれ育ったのですが、南町の法被に袖を通すのはこれが初めて。(ずっと商工会青年部で神輿を担いでいましたから・・・)

暑い中、大勢の地域のみなさんが来場されて楽しいひと時を過ごしました。

運営に当たった皆さんのお話を聞くと、お陣屋祭りの一環として取り組んできたこれまでとは状況が違うため、試行錯誤ながら、それでもみんなで地域を盛り立てたいということで取り組んできたとのことでした。

役員のみなさんは大変だったことと思いますが、それでも無理のない企画から準備までのスケジュールと、当日の運営だったように思います。何よりも、参加者とスタッフ両方が思い思いに楽しんでいたように見えました。

町全体からみれば小さな取り組みかもしれませんが、地域に対する熱い思いは決して消えてしまってはいないことを実感しました。

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2007年7月23日 (月)

何か出来ることを

先日、タッキーさんから中越沖地震の被災地へ物資を届けるので何かないかと聞かれました。現地で必要とされそうなもののなかにローソクがあったので、それならいくつかあるかもということで探してみました。

ピースローソクこまがたけで使ったものがあるかと思ったのですが、ほとんど使い切ってしまい、結局使いかけのローソクが2本だけでした。

それでもいいというので、それらをタッキーさんにお渡ししました。

昨年の諏訪地方の集中豪雨や、中越地震など、日本は災害とは切り離せない国土です。

多くの人の暮らしが影響を受けていることに対し、みんなが何か出来ることをしていくときです。

タッキーさんブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/SmileHouseKM/diary/200707230000/

タッキーさんからご紹介いただいたブログ 

http://plaza.rakuten.co.jp/etecho/diary/200707220000/

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2007年7月15日 (日)

まちは生きていく

この二年間、商工会青年部の役員として飯島町の商工業を見つめ、また地域間の格差の広がりを憂いながらも、その打開策を模索する仲間たちとのつながりを求めてきました。

そのような思いのなかで勇気を与えてくれるコラムに出会いましたので、抜粋してみました。

思っているだけではだめ。言うだけでもだめ。それを実現する勇気と力を持ち合わせてこそまちも企業も変わってくるんですね。

このコラムを読み、そう身に染みました。

朝日新聞編集委員 松葉一清さんの22回に渡るコラムの最終回です。

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7月5日付朝日新聞朝刊

「まちは生きてく」22 

過去を敬い未来を目指す

旅の終わりに

まちが死んでいく。この数年、各地で目にした信じられない光景。あんなに繁華街だった商店街がシャッターを閉じ、中心市街地には人影もまばら。日本が壊れる恐怖感が、まちの持続と再生に挑む人たちを訪ねる行脚に駆り立てた。

~中略~ 

21世紀の日本も変化の真っただ中にある。規制緩和や都市再生のかけ声は地方都市に追い風になったのか。「いやメリットはなかった。判明したのは、経済のグローバル化の時代には、より明確な地域のコミュニティーが不可欠で、しっかりした核になる人がいないと、まちは生きのびていけないことです。」大規模商業施設の郊外出店抑制に、まちづくり3法を転換させた主導者、小林重敬・横浜国立大大学院教授(64)の見解だ。

明治以降、父祖たちは官庁や福利厚生、文化施設を全国の中心市街地に蓄積した。高度成長期、そこでの都市的体験が暮らしの近代化を後押しした。それへの感謝と敬意があるなら安易な放棄は選べない。

~後略~

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2007年7月12日 (木)

夏祭り

飯島町の夏祭り「お陣屋まつり」は、昨年で打ち切られました。

今年は夏祭りの無い初めての夏を迎えます。

「お陣屋まつり」の神輿を出していた企業や団体が年々減るなかで最後まで唯一、地区組織として神輿を出したのが南町耕地です。

南町は「お陣屋まつり」が無くなった今年、地区独自で夏祭りを開催することを決めました。

南町コミュニティセンターを会場に、輪投げやビンゴ、流しそうめんなどの催しを行います。お神輿は競いませんが、会場に展示されます。

祭りを運営する人、訪れる人、楽しんで、盛り上がって、人や地域とのつながりの生まれるそんなお祭りになればいなあと思います。

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2007年5月28日 (月)

青年部主張発表大会

先週末、長野県の商工会青年部の総会が開催されました。役員として最後の出席をしてきました。

総会と併せて青年部主張発表大会県大会が行われました。

とても懐かしく思いながら、今年の主張発表を聴かせてもらいました。

商工会青年部が毎年行っているこの大会では、地区大会、県大会、関東ブロック大会、全国大会が開催され、青年部活動を通して取り組んだ地域活動や仕事についてさまざまな主張を展開します。

十年ほど前でしょうか、飯島町商工会青年部も主張発表大会に部を上げて取り組んだ時期がありました。

私も参加し、県大会まで出場をしました。

当初は、青年部長だったH先輩の料理店の一室を借りて、地区大会の一週間くらい前から毎朝、部員が集まり発表者の練習を行いました。

10分という制限時間内で、いかに効果的に主張を聞き手に伝えられるかがポイントです。

毎朝の練習で、自分の話す内容に対して聞いている仲間から話のポイントや、話し方の手法まで、いろいろと指摘され、そして修正を繰り返します。

大会前には、自分でもぼんやりとしていた“主張したいこと”が自ずと明確になってきます。また、しゃべり方もリズム感のある、身振り手振りなどを交えたいわゆるスピーチのテクニックもだいぶ身に付けることが出来ます。

そうして、南信地区大会に勝ち抜き、県大会に駒を進め、また練習を繰り返します。

飯島町商工会青年部として主張発表大会へそんな関わり方を数年続けていた時期がありました。

この大会への参加経験は、私にとって大変大きな財産となりました。

それは、限られた時間の中で、その時々の聴衆に対し、どんな話し方をしたら最も効果的に思いを伝えられるかを学ぶことが出来たと思うからです。

最も伝えたいことは何か、それをしっかりと整理し、どうやったら聞いている人の心に響くメッセージとすることが出来るのかは、このときの訓練で感じ取ることが出来ました。

主張発表大会は、青年部活動においてとても意義のある事業の一つとして今も続いています。

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2007年5月22日 (火)

ポジティブ文化の協力隊

駒ヶ根協力隊を育てる会の総会が昨日開催され出席しました。

育てる会の総会も25回目を迎え、着実に地域文化としての協力隊訓練所の存在が定着してきています。

社団法人協力隊を育てる会副会長で、元ペルー大使の青木盛久さんも見えられ、久しぶりに駒ヶ根の皆さんとの交流を深められました。

懇親会の中で地元の病院長さんが興味深いことをお話されていました。

「ネガティブを良くするのが医療だが、ポジティブをもっと良くするのも医療だ。だから私は協力隊と関わるんだ。」と。

協力隊訓練所へ行くと今や青年から、定年を迎えるシニア隊員まで幅広い年齢層、職業、立場の人たちが、とてもポジティブな姿勢で国際貢献を目指し訓練をされています。

自分のためではなく、人のために何か出来ることをしようという前向きで、尊い姿勢です。

きっと、院長さんには協力隊という場がそんなポジティブエネルギーをたくさん受取れる場と感じられたのだと思います。

青年海外協力隊訓練所の存在が、地域文化にとって存在感を増しているのは、単に国際協力ということだけではなく、地域の暮らしにポジティブエネルギーを提供することの出来る場でもあるからなのだと思います。

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2007年5月 1日 (火)

青年部のバッジ

先月末に飯島町商工会青年部の部長バッジを新年度から部長を務めるI君に引き継ぎました。

二年間の活動でしたが、地域と共に歩む経営者として多くを学ばさせて頂きました。以下に総会での挨拶を抜粋します。

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この二年間、「俺が経営者だ!」というキーワードを掲げて活動してきました。

その二年間を総括してみたいと思います。

先日、全国青年部連合会会長の大高衛さんのメッセージビデオを拝見する機会を得ました。

大高さんは、多くの私たちと同じように、何年か他の会社で修行したあと、千葉県にある家業の醤油屋さんで働き始めました。消防団などで活動を始め、しばらくして商工会青年部に入会を勧められ入部しました。4月に入会して3ヶ月がたち大高さんは、この会は祭りか、宴会か、旅行の話だけしかしないのではないかと感じ、退部したいと申し出たそうです。

どういうことだという先輩たちに「商売に必死で、会社をどうにかしたい」と本気で助けてくれと訴えました。

それから3~4年、青年部の仲間や指導員が足しげく事業所に通ってくれ、そのおかげで赤字の会社を収支トントンの会社に出来にすることが出来たそうです。

そのとき大高さんは、青年部のすごい潜在能力を痛感しました。

それ以来、「この会は家業のための会とはっきり言える会にしよう」、「入部したときには、右も左も分からないペーペーの若者でも、卒業するころにはいっぱしの商売人に、企業人にして出してやって、地域に貢献することのできる人間になるとはっきりいえる会にしよう」と誓い全国の会長になるまで行動してきました。

このお話を聞き私は、これはそのまま今の飯島町商工会青年部が目指すべき方向でもあると共感しました。まさに、「俺が経営者だ!」といえる人づくりの場が青年部なのです。

そのための切り口はさまざまあるでしょう

この二年間について言えば、経営力開発委員会と地域ネットワーク創造委員会の二本柱で、少しでも「俺が経営者だ!」と自信を持っていえるように努力をしてきました。

この二つの切り口を通して、経営者としての実力をつけてきたといえます。

PDCAサイクルを身に付ける研修を行いました。

いままでああしたい、こうしたいと思っていても出来ない自分がいました。

目標を明確にし、計画し、行動し、反省し、評価し再び行動するそのサイクルのなかで、出来なかった自分からこうやればできるんだという自信を持つことが出来た部員がいます。

近隣の青年経営者とのネットワーク作りに取り組みました。

同じ悩みや課題を持つ仲間、自分には無い技術や発想、行動力を持つ仲間がすぐ近くにいることが分かりました。

彼らとネットワークでつながることは、経営者にとってかけがえの無い財産であることを感じ始めています。

わたしは、二年前に部長を引き受けて、今日この日、最後の総会の時には部員の皆さんにこうなっていてほしいという姿がありました。

「青年部に入ってよかった。」

「青年部に入ったからこんないい経験ができた。」

そんな姿になってもらえるよう、二年間の活動を心がけてきました。

さあ、みなさんどうでしょうか。

今そう思ってくれているかどうか?

私自身、二年間の力不足を実感する日々でした。

イメージしたようなそんなうまい結果にはいたらなかったかもしれない。

しかしその都度、多くの皆さんに支えられ、助けられ、大高会長同様、青年部の潜在能力のすごさを実感してきました。

フェスティバルイン与田切は青年部の手を離れ、お陣屋祭りもファイナルを迎え、なんとなく寂しさも感じます

でも青年部ならやればなんだって出来る

切り口はなんでもいいんです。

経営の研修であろうと、祭りであろうと、はたまた最も違う新しいものであろうと。

その目指すべき方向は、変わることが無いし、変わってはならないと思います

それは、大高会長の言う「いっぱしの商売人」になろうということ。この二年間皆で追い続けてきた「俺が経営者だ!」ということなのです。

そのためにこういうイベントをしよう。こういう勉強をしよう。そういう思いで事業に取り組めばよい

みんなで自分の商売よくして、みんなでこの飯島をいい町にしていこう。

そのための青年部活動、青年部の仲間であるべきだと私は思います。

二年間、至らぬ部長であったために、皆さんにはご不満や、やきもきさせる場面も多々あったと思います。

しかしどうか、その点はご容赦いただいて、今後みんなでいい商工会青年部、いい事業所、いい飯島町づくりに取り組んでいっていただきたい。

そのために、少しでも貢献できた二年間であったならばこの上なくうれしく思います。

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2007年4月17日 (火)

まちづくりへのやる気

15日から千人塚公園で桜祭りが始まりました。

飯島町、飯島町商工会、桜守の会などが主催し、桜のライトアップ、飲食などの出展があります。 

昨年までこの桜祭りの名物は水上花火でした。

しかし、本年から予算の削減、千人塚公園の交通渋滞、駐車場の不足、花火打ち上げ時間が短時間で経済効果が期待できないなどの理由で、商工会の判断で花火打ち上げは中止となりました。今回の桜祭りは、本来の桜を愛でる原点に回帰する桜祭りとして実施されています。

ある会で地元の青年と話しました。

彼は来年は是非花火をやりたいと意気込んでいました。

駐車場が狭いとか、渋滞が起きるとかそういった問題はいくらでも解決する余地があると彼は言います。確かに知恵を絞れば何とかなりそうな問題です。

闇夜に浮かぶ中央アルプスを背景に、千人塚の湖面に花火が映り、桜を彩る情景は、ここでしか見ることのできない、なんとも美しいものだそうです。県外からもそのうわさを聞きつけて観光に訪れるひとも少なからずいるようです。

そんな地域の資源をこのまま埋もれさせるのはなんとももったいない。地元七久保で花火打ち上げをするボランティアグループで是非水上花火を再生させたいというのが彼の思いです。

商工会で花火中止を決めた会議には私も参加していましたが、そこでは中止やむなしという空気でした。わたしもその判断は間違っていなかったと思います。

しかし、今日話をした青年のように熱い思いを持った人たちからみれば、商工会館で話し合われた課題など、どうにでも解決できる問題なのだと思います。

そこに意義を見出し、どうにか地域の資源を盛り立てたいと考える“志民”こそが地域の課題を解決していく原動力なのです。

来年以降、この桜祭りがどうなるかわかりませんが、行政や企業が応援すべきは応援し、志民のまちづくりへのやる気を形にできたら素晴らしいと思います。

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2007年3月30日 (金)

商工会青年部の目指すもの

昨夜、飯島町商工会青年部の研修事業が開催されました。

昨年から半年間に渡って経営者の資質を身に付けるために自らの事業を通してPDCAの実践を行ってきましたが、その最終講でした。

そこのまとめとして以下のようなお話をさせていただきました。

**********************************************************

この研修を通して新しい設備を導入した仲間がいます。作業時間を短縮してその分営業に回ると言うことです。

新聞に折り込みチラシを入れた仲間がいます。

新しくメニュー帳を作り、新メニューも加えた仲間もいます。

この研修に参加したことで今まで出来なかったことに取り組むことが出来ました。

参加してよかったという意見がありましたが、私もまったく同感です。

年度の初めに青年部の基本方針にPDCAを身に付けるという一文を入れました。それを、担当した経営力開発委員会の皆さんがアイデアを膨らませて実現されたのが今回の研修事業です。

この研修をいちばん望んでいたのは実は私自身だったかもしれません。

ああしてみたい、これをしなければと思っていたことにいつまで経っても取り組むことが出来ない自分がいました。PDCAというしくみも知っていましたし、そのとおりやればできると言うこともわかっていました。でも出来ない自分がいた。

この研修は、そんな自分を追い込む意味もあったと思います。

実は、この半年間で私が立てた目標は一度も達成することが出来ませんでした。毎月のグループ研修に参加するときはいつも気が重かった。しかし、今思うに結果は出なくとも、多くの成果を得ることが出来ました。結果よりもその過程に大きな意義があったと思っています。

私にとっては必要な研修だったし、成果もありました。

しかし、34名の部員みんながみんなそうだとは言えないでしょう。

自分には必要ないと思う人。関心の無い人。意識の無い人。いまさらやらなくても十分実践できている人。いろいろです。

商工会の目的は加盟している事業所それぞれの商売が良くなることです。

自分の商売を今よりさらに良くすることです。

今回の事業はその目的から1ミリたりともずれていないと思っています。

一人ひとり考え方も、その立場、意識も違います。青年部の事業は、その一人ひとりに合わせるのでもなければ、やりたい人たちだけが勝手にやるものでもありません。

自分たちが目指す方向を決めたら、それに向かって真剣に考え、語り、行動する、そんなところから組織の色が出てくるのではないでしょうか。いろいろな考えがあったとしても、その人たちをその色に染めていくことが組織の風土を作り、人を作ります。

意味が分からなくても、ちょっと引いてみていても、やらされている感じがあったとしても、真剣に、本気で取り組む組織にいれば、いつかきっとそこに所属する一人ひとりは良くなります。

そして、商売が良くなる。

地域が良くなる。

そのために本気で取り組んでほしい。

お祭りは三人馬鹿がいればできるといいます。どこまで本気になって青年部活動に取り組めるかが、これからの課題だと思います。

研修中に指導員さんとの話のなかで、今年の青年部のスローガン「俺が経営者だ!」は言い換えれば、「俺は孤独だ」ってことだよと言われました。

大企業のように戦略会議があるわけでもない、中小企業は経営者が自分で決めて、自分で行動しなければなりません。経営者は一人ぼっちです。

だから、仲間を。だから信頼や友情を。

それらを青年部で培い、結果を出していきましょう。

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研修に参加したメンバーへの部長としてのメッセージではありましたが、私自身へ言い聞かせている様でもありました。

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2007年3月13日 (火)

経営者は孤独だ

飯島町商工会青年部でPDCA(Plan Do Check Action)を身に付けることをテーマに勉強会を定期的に行っています。

それぞれのメンバーが自らの商売における目標を立て、毎月その目標に向かって行動し、その結果を仲間と共に検証します。

経営指導員のYさんがグループでの討議に対し、随時適切なコメントをしてくれ、会の最後に翌月のアクションを決めて散会します。

私のグループは4人。製造業、サービス業、飲食業、建設業とみんな業種は違いますが、目標は共通しています。

「売上アップ」です。

業種が違うので思わぬアイデアをもらうことが出来たり、また時に厳しい意見をされることもあります。

自分の仕事にもプラスになり、また経営者・後継者の仲間づくりにつながるよう効果を期待して2年前から取り組んでいます。

青年部のスローガンは「俺が経営者だ!」。

いつの日にか、それも近い将来、自信を持ってそういえるような経営者になりたいと言う思いをこめて掲げられました。

昨日の勉強会でのこと、Yさんが『「俺が経営者だ」は言い換えれば「俺は孤独だ」ってことだよ』と言われました。

大企業ならまだ、役員会だとか戦略会議だとかありますが、この辺の中小零細企業では結局自分ひとりで決めて、行動しなければならないのが経営者だと。

中小の経営者は一人ぼっちなんです。その一人ぼっちが仲間を作って互いに勇気を与え合い、結果を出していくのが今私たちが取り組んでいる青年部の勉強会だと言えます。

俺が経営者だ=俺は孤独だ。だから信頼を、仲間を育み、その地域の仲間と共に成果を上げていくのだと思います。

地場産業の担い手として、なによりも求められるまちづくりの形だと思います。

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2007年3月 7日 (水)

ETCとスマート・インターチェンジ

車にETCを取り付けました。

昨日、戸倉上山田温泉で会議があり初利用しました。

料金所を通過する時にバーにぶつからないか冷や冷やしながら進入しましたが、パッとバーがあがったので思わず感動してしまいました。

これまで戸倉上山田温泉に行くときには、長野自動車道の更埴IC経由で行っていました。

インターを降りてから一般道をしばらく走るのでなんとなく遠いイメージがありました。

ところが昨日は、姨捨サービスエリアのスマート・インターチェンジ(スマートIC)で高速を降りました。

スマートICは、ETC専用の出入り口でサービスエリア、パーキングエリアなどに設置されています。(ちなみに姨捨SAは松本方面からの出口及び、松本方面への入り口のみとなっています。)

姨捨SAは山の上にあるので、料金所を出るとかなり急な狭い道を下っていきます。雪の日などは怖そうな道です。

しかし、更埴IC経由よりも料金も安く、時間もぐっと短縮され「これは便利!」と感じました。戸倉上山田温泉がぐっと近くに感じることが出来ます。

このスマートIC、地域活性化につながりそうですね。

設備は見た感じとてもシンプルですから、設置費用も安くなるのではないでしょうか。周辺道路の整備は、姨捨SA付近に関しては十分とはいえませんでしたが、かといって何も困ることはありませんでしたから特に必要もなさそうです。

人や物流の流れをつくるのにわざわざ莫大なお金を掛けてインターチェンジを建設しなくてもこんな簡単システムで何とかなるのです。

スマートIC、使えますね。

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2007年3月 1日 (木)

シンゴウレンジャー

子供の通う保育園でお父さん、お母さんたちと交通安全教室を開催しました。

昨年秋に続く2回目でしたが、前回の寸劇が受けたので調子に乗ってまたやってしまいました。

「進め!交通戦隊 シンゴウレンジャー」という題名で、正義の味方シンゴウレンジャーと悪者の戦いを通じて交通ルールを学ぶというものです。

この保育園の交通安全教室で寸劇をやったことはこれまであまり無かったようですが、今回役員になった皆さんが賛同してくれたのでスムーズ準備も出来、また楽しく関わることができました。

もちろん保育園は働く親をサポートするための施設ではあります。

保育園に関わることで親に負担がかかることはあまりないほうがよいという意見もあると思います。

しかし出来る範囲で、前向きに積極的に親が子供たちの保育園生活に関わることも必要です。

自分の子供だけでなく、「大人たち」と「子供たち」のつながりがもっともっと必要な時代だと思うからです。

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2007年2月28日 (水)

商工会の連携

昨日、飯島町商工会と中川村商工会の連携協定が締結され、調印式に出席してきました。

平成18年度に続き、2年目の連携となります。

連携の主な目的は、それぞれの商工会の財政基盤の強化と事務局の合理化にあると私は思っています。

中川村と飯島町は地理的にも近接しており、また人の交流も昔かあるつながりの深い関係です。

駒ヶ根市を交えた市町村合併議論もなされましたが、合併反対という駒ヶ根市、飯島町の住民アンケートの結果を踏まえ、結局はしないという結論になりました。

以前にも書きましたが、2004年までの伊南四市町村をみると、駒ヶ根市、宮田村は法人税収が堅調に増加しています。

飯島町、中川村法人税収は、減少しています。

上伊那地域では、伊那市、駒ヶ根市に人口、企業、商圏が集中しつつあります。

このような状況の中で両町村の地場企業がどのように今後発展をしていくのかが、実はこの商工会の連携において重要な課題となってくるのだと思います。

お互いを知り、ビジネスでの交流を模索し、あるいは地域活性化へ向けての知恵を絞るためにこの連携が活用されることを望みます。

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2007年2月22日 (木)

商工会青年部全国大会

商工会青年部の全国大会・40周年記念大会が21.22日、日本武道館をメイン会場に開催されました。

私もスタッフ(お手伝い程度ではありましたが)として、また飯島町商工会青年部長として参加をしました。

武道館というと学生時代にコンサートやプロレス、柔道観戦でよく訪れましたので懐かしく思いながら会場準備をしていました。

式典、主張発表大会、松山千春氏による基調講演など盛りだくさんのスケジュールで、すべてに参加することは出来ませんでしたが全国より集った5000人の青年部員の中の一人として改めて、商工会の存在意義を考えさせられました。

全国(青年)部長会議の場で意見表明・決議がなされた項目のひとつに全国の商工会青年部に対する提言がありました。

以下抜粋*************************************************

我々商工会青年部の原点は一体何だろう。「自身の商売(経営)のための商工会青年部」・「自身の地域(まち)のための商工会青年部」であるはずだ!

*********************************************************

そこで以下のような具現化策を提言しています。

・経営研修会の定例化

・ITを活用した部員間の情報の共有化

・ビジネスチャンス拡大の事業やツールへの積極的参加

日本各地にある商工会青年部は必ずしも他の商工会と連携が取りながら活動をしているわけではありません。

活動内容や組織も、それぞれの各地青年部によってさまざまです。

どちらかというとイベント中心の事業重視の風潮があることも否めないかもしれません。

こんな時代だからこそ、地域を担う青年経営者が知恵を出し、汗をかきそれぞれの事業所を繁盛させること、そして地域に活力をもたらすことが必要であり、青年部にはそのための活動が求められます。

この提言で述べられていることはもっともなことで、これが形式だけに終わることなく行動につながるようまずは、仲間に伝えていくことが大切と感じました。

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2007年2月 9日 (金)

それでもやりぬく力

すごい話を聞きました。

すごいというか壮絶なお話。

商工会青年部上伊那支部の研修会で事業再生コンサルタントの吉田猫次郎さんの講演会が開かれました。

テーマは、借金苦に陥ったときにどう切り抜けるかというものでした。

吉田さん自身の経験がまたすごい。

大手企業勤務から実家の事業がちょっとしたことから借金まみれになり、家業を継がれました。

債務は膨らむ一方、最後はいくつものヤミ金からもお金を借り、どうにもならなくなってしまったそうです。

自殺未遂、手形不渡り、ヤミ金に監禁されるという経験をされ、しかし最後はそれらを克服し、経営再建を果たします。

若くしてそんな経験をされたこと自体も驚きですが、そんな状況に陥っても一つ一つ解決していった猫次郎さんの冷静さには感服します。

何よりもそのような状況で5人の弁護士に相談したところ、5人が5人とも自己破産を勧めたそうです。

しかし猫次郎さんは、自己破産の道を選ばず、あえて茨の道とも思える返済にこだわりました。それは、借りたお金は返すというこだわりと同時に、商売に対する愛着とその仕事を何が何でもやりぬきたいという信念だったのではないかと私は思います。

どんなにひどい目に遭おうとも、腹をくくった人間の強さも感じました。

猫次郎さんのような経験をしたいとはとても思いませんが、経営者として商売をそれでもやり抜こうという強烈な力をお話のなかからうかがい知ることが出来ました。

吉田猫次郎さんのホームページ

http://www.nekojiro.net/

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2007年1月30日 (火)

地域の現状~法人税~

飯島町商工会青年部の臨時総会で挨拶するため少し調べ物をしていたら、思わぬデータが見えてきました。

昨年より商工会の会合等で飯島町の法人税収の落ち込みが話題になっていました。

そこで周辺3市村と法人2税の収入を比較してみました。最新のデータの2004年の法人税を2001年と比較してみると・・・

駒ヶ根市 7%増

飯島町 56%減

宮田村 29%増

中川村 21%減

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グラフにしてみると飯島町以外は緩やかな収益増または収益源なのですが、飯島町はまるで階段のようにガクンガクンと減少しています。

ここに飯島町商工会そして青年部の課題が見て取れるのだと思います。

景気の回復が実感できないこと、さまざまな格差があることは誰もが実感していることかもしれません。

しかし、他の伊南地域の市村とここまで法人税の収入状況が異なるということは、おそらく飯島町の経済自体に何か問題があるのではないかと考えるべきです。

その原因の究明がまずは大切なことです。

一方でこの現状を認識し、地域経済の没落を何とか食い止めようという心意気と、会員が一丸となって具体的な取り組みを行うことこそが緊急の課題ではないかと思います。

飯島町商工会青年部では「俺が経営者だ!」というスローガンの下、青年部員の経営力の開発と、周辺の青年経済人とのネットワーク作りに取り組んできました。

一人ひとりが自身の努力で事業所を発展させることは言うまでもないことですが、地域として、仲間として助け合いながら、共に発展していくことこそ、地域自立の時代にとって重要な視点です。

「みんなで飯島を良くしていこう」、「みんなと一緒に自分の仕事を良くしていこう」という発想と行動こそが今必要なのです。

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2006年12月 1日 (金)

カッセイカマン

下条村のヒーロー「カッセイカマン」のドラマをYour Tubeで見ることができます。

今各地にローカルヒーローと呼ばれるキャラクターが誕生していますが、「カッセイカマン」はその先駆けともいえるのではないでしょうか。

駒ヶ根のSPEED太郎も仲間入りしています。

下条村の商工会青年部の方に伺ったところ、地域振興を目指して商工会の職員の方が生みの親だとのことでした。

まさに地域の活性化に奮闘中のようです。

ちなみに、このドラマの監督・脚本をされているのがわが飯島町商工会青年部のOB坂井さんです。ロケ地の駒ヶ根市内の商店街がたくさん登場します。

坂井さんは法人会の研修ビデオなども監督されるなど「副業」ではありますが、地域の名演出家として名作を数多く生み出しています。

これからのご活躍が楽しみです。

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2006年11月21日 (火)

ビジネスマッチング

長野県商工会青年部連合会(県青連)が主催するビジネス交流会が昨日、今日と開催され参加しました。

県下から130名の青年部員が集結し、ビジネスマッチングというテーマで今後のビジネスチャンスを模索しました。

県下各地で活躍する経営者、後継者が集まり、それぞれの仕事の強みや弱み、取り組んでみたい事業など、既存、新規を問わず語り合う中から、お互いの仕事と仕事をつなげる場作りがビジネスマッチングです。

結果的にビジネスマッチングが成立したのは数組でした。県青連としては初めての試みということもあり、参加者に戸惑いもありました。参加者の半数が建設関連事業者ということで、地域密着型の工事業者が遠距離の同業者と事業連携することに無理もありました。

しかし、商工会青年部というネットワークを使えば少なくとも県下130社以上とのビジネスチャンスが広がる可能性を感じることができました。また、具体的なビジネスマッチングはできなくとも、参加者との意見交換を通して、これまで持つことのなかったアイデアや発想にも気づくことができました。

こういった企画は、ぜひ今後とも県内あるいは、身近な地域内で取り組んでいく必要のあることだと思います。

時代の価値観が変わっているからこそ、より多くの考え方、より多くの生き方、より多くのビジネススタイルに接し、時代に合ったビジネスモデルを構築していくことが私たち経営者・後継者には急務と思うからです。

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2006年11月19日 (日)

企業誘致

飯島町が自立に向けて重点的に取り組む課題のひとつに企業誘致が挙げられています。

税収を増やし、雇用を生み出すためにもとても重要な課題です。

ここのところの駒ヶ根市はまさに大きな企業の誘致を続々と成功させています。

田中知事が全盛で合併議論が盛んなとき中原市長さんのお話で、地域の自立は縮小均衡ではなく拡大均衡を目指すべきだというような内容を聞いた覚えがあります。

行政が経費を削減するばかりではなく、いわゆる「売上」つまり税収を伸ばす手法をとるということなのだと思います。その結果として企業誘致があるのだと思います。

その考えは十分理解できるものです。

一方で問われるのが、どんな地域を目指すのかという地域のビジョンです。

開発主体の取り組みは、結果的にミニ東京を日本各地に生み出すこととなりかねません。

飯島町の中期総合計画(2006~2010)のなかで、まちづくりの将来像が「みんなでつくる自然豊かなふれあいの町 飯島町」と謳われています。

町のスローガンなどを見ても、地域のもっとも大きな魅力であり財産であるのはこの地の自然であることが分かります。

政経懇談会で伺ったところでは、企業を誘致して農地を工場用地にするのだそうです。大型道路も予定されており、その道路周辺は景観協定により安易な開発はされないと思われますが、大型道路を結ぶアクセス道路などは主要路線として開発が見込まれるものと思われます。

企業を誘致し、工場や店舗、道路などの開発を促進させることで、この町の里山の風景は失われていくでしょう。地域に根付く地場の中小零細企業の衰退も予想されます。結果、この町は何を魅力として存在意義を見出していくのでしょうか。

自然、自然といいますが単なるスローガンにとどまり、その自然をどう地域の魅力として輝かせていくのか、どう地域振興の核として活用していくのかが見えないように思います。

明確な地域のビジョンのもとで、企業誘致なり自然資源の活用なりに取り組むことが必要ではないでしょうか。

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2006年11月18日 (土)

協働の担い手

先日、飯島町商工会理事と飯島町の理事者、課長の皆さんとの政経懇談会が開催され、私も参加しました。

飯島町の今後の自立に向けての方策を伺いました。

キーワードは「協働」「企業誘致」「子育て支援」、この三つだったように思います。

役場や、住民との何回にも渡る協議の末、「ふるさとづくり計画」が立案されています。

これまでのように身の回りのことを行政に頼るばかりではなく、住民も主体的に関わり、行政と協働してまちづくりに取り組むことが不可欠ということです。

協働の担い手として「住民の自治組織」によるもの、「各種団体」、「企業」が挙げられています。そして、現状では住民の自治組織がもっとも具体的であり、大きな役割が与えられそうな構想のようでした。

ああ、これで負担はますます増えるのだなあというのが率直な感想です。

自治組織はもちろん該当する住民すべてが運営を担うものではありますが、実際には役員や係の方にその負担が大きくのしかかります。行政にとっては御しやすい組織でもあるのでしょう。

一方で若い年代になるほどそういった組織に加入し、負担を負うことを嫌う傾向にあります。

公共心の欠如といってしまえばそれまでですが、こういった社会変化の現状を踏まえたときに、果たして自治組織中心の協働が本来の住民の主体的なまちづくり参加を促すことができるのでしょうか。どうしても「やらされている」まちづくりになってしまうからです。

むしろ、期待すべきは「各種団体」であり、「企業」ではないでしょう。

まちづくりに取り組むには明確な動機付けが必要です。

自分たちのことは自分たちの手でといっても、なかなか動けないものです。

しかし、たとえばNPOなどは、その存在意義がまちづくりに直結するものが多くあります。

収入よりもやりがいを求めて仕事を起業する若者も多いと聞きます。飯島町だけでなく周辺地域、さらには日本全国へ向けて情報を発信し、活動できるNPOや団体を生み出す政策を取ることはできないでしょうか。

自らの町の自立のみならず、協働のまちのモデルケースとして、地域振興にもつながるはずです。

同時に企業も新しいビジネスチャンスを求めてまちづくりに参加できる仕組みづくりが必要です。まさに企業こそ、ビジネスという明確な動機に基づいて行動するわけですから、行政に十分取って代わる存在となりえます。

協働の町を目指す行政には、ぜひそういった団体や企業が飯島で起業しようという気になるような、支援体制を構築していただきたいものです。

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2006年11月15日 (水)

ハリボテ

懐かしい写真を発見しました。

http://pen-style.upper.jp/pen/haribote/h_1984.html

私が高校三年生のときに文化祭でみんなと作ったハリボテです。

毎年、文化祭で校舎の玄関前にハリボテを作るのですが、それらの写真を一覧で見ることができます。

竹を細く切ったものを下地にしてその年のテーマの形を作り上げます。その上から紙をペタペタ張り合わせていきます。これはもう人海戦術です。

最後に紙にペイントして出来上がりです。

毎日、みんなで遅くまで作業をしたことを思い出しました。

私の中では、一年生のときに作った象とブッシュマン?がいちばん印象に残っていますね。

今も後輩たちがハリボテ作りがんばっていると知り、うれしくなりました。

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2006年10月30日 (月)

ほんとの空

福島県二本松市を訪ねてきました。

二本松市にはJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊訓練所があります。駒ヶ根市にも訓練所があり、その縁で平成12年に友好都市提携が結ばれました。その後も災害時相互応援協定が結ばれるなど両市間の交流が深まっています。

私も2年前ににほんまつ地球市民の会の10周年記念式典に駒ヶ根協力隊を育てる会の会員としてお招きいただきました。またそれ以来、二本松青年会議所の皆さんとも少しづつ交流を深めています。

今回は、駒ヶ根市市民訪問団の一員として、駒ヶ根協力隊を育てる会から参加をさせていただきました。

30名の市民の皆さんと共に、市役所の表敬訪問、日本最大といわれる菊人形展の鑑賞、青年海外協力隊訓練所の視察など2日間に渡り二本松市に滞在しました。

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お城好きの私としては、二本松城の石垣の壮大さに目を奪われました。

二本松市には高村智恵子の生家があります。高村光太郎の妻で洋画家でもありました。光太郎の詩集「智恵子抄」に彼女のことが描かれています。

彼女の生家は造り酒屋で、その建物が修復され隣接する記念館と併せて観覧することができます。

智恵子抄のなかの詩に「あどけない話」という一遍があります。

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智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くをみながら言ふ。
阿多田羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

*****************************************************

安達太良山を望むこの二本松の空を見ながら光太郎の智恵子への愛に浸ったひと時でした。

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2006年10月26日 (木)

ノブレス・オブリージュ

飯島町商工会青年部の経営勉強会で南信精機製作所の片桐光繁社長の講演を聴きました。

南信精機製作所は飯島町にある企業ですが、中国の工場も含めて3200人もの従業員がいる大企業です。しかし、もともとは46年前に飯島町で創業した小さな会社でした。

私たち青年部員にとって、地域が誇る企業のトップにその経営観やリーダーの条件をぜひ伺いたいとお願いした講演でした。

お話のなかで感じたことのひとつは、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」の意味を再認識したことです。

フランス語で「貴族の義務」、「高貴なものの義務」を意味する言葉です。

これまで私は、「裕福な或いは社会的地位のある人間は、社会貢献をすべきだ」というような意味で解釈していました。もちろんそういった意味もあるのだと思います。

しかし、どうも自分には落としこめない言葉でした。(裕福でも社会的地位があるわけでもありませんから)

片桐さんは、この言葉の意味を「トップの人間、地位の高い人間はほかの人より倍汗をかく」ことだと説明されました。企業の使命を実現するのは、企業のトップの仕事であり、誰よりも汗をかいて可能性に挑戦し続けることの必要性を教えていただきました。

ご自身の体験に基づいているお話だけに説得力があり、共感するとともに大きな元気をいただきました。

裕福で地位が無くとも、リーダーたらんとするものは誰よりも汗をかかなければ夢の実現は無いのだと感じました。

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2006年10月12日 (木)

中川村商工会青年部

9日に中川村商工会青年部の35周年記念式典に出席してきました。

部員数は少ないものの、村内ではその存在感を示して活躍しています。

今年は、ふるさとCM大賞に応募するということで、青年部の力作2本を見させてもらいました。

中川村は、多くの自然に囲まれ、里山、棚田の美しい山間地域です。

そこに住む人たちもとてもおおらかで、接していると心が和みます。

中川村とて、経済環境の悪化は例外ではなく、商工会も会員の減少など苦戦もあるようです。

本年から飯島町商工会と連携し事業展開を行うことになりました。

飯島の青年部とも交流をいっそう深めるべく例年以上に共同事業を増やしました。

地域の自立には当然、地域の経済的自立もあります。地域の核となって経済を盛り立て、地域の活力を生み出す役割が商工会青年部員には求められているはずです。

そんな環境の中で、隣り合う中川と飯島の青年部員が交流を深めることで、互いのアイデアやエネルギーの交換も生まれることでしょう

これからの地域を担う責任世代として、両青年部が地域の牽引力足りえる存在になりたいと思います。

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2006年10月10日 (火)

野面積み

週末、日本青年会議所の全国大会で郡山に行きました。

期間中、少し時間ができたので会津若松まで足を伸ばし、会津若松城を訪ねました。

野面積みと呼ばれる無骨な石垣が天守閣を支え、その美しい天守閣と対照をなしていました。

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戦国の時代から戊辰戦争にいたるまでのこの城の歴史をその石垣から感じました。

それにしても松平容保は、てっきり会津の戦争で戦死か自刀したのかと思っていましたが、そうではなかったのですね。

明治の時代に政府に許され、日光東照宮の宮司も務めたそうです。

白虎隊や篭城して悲劇の最期を遂げた家臣もいたでしょうに・・・。

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2006年9月21日 (木)

交通安全

今日から秋の交通安全運動が始まりました。

人並み作戦と称して、通勤時間に道路沿いにずらーっと並んで交通安全を訴えるイベントに参加してきました。

交通事故というと「自分に限っては大丈夫」というのがほとんどのドライバーの認識ではないでしょうか。飲酒運転などはまさにその誤った認識の最たるものです。

現在の車社会においては、私たちは交通事故の被害者にもなるし加害者にもなり得るのだと思います。

普段注意して運転していても、加害者になってしまうことがあるということは、実体験から学びました。

もう4年前になりますが、夏の暑い日、仕事がようやく終わっての帰り道、一時停止で左右を確認したつもりが、確認不十分のまま交差点に進入してしまい、乗用車とぶつかってしまいました。

相手の車に同乗していた方が具合が悪くなり、私は人身事故を起こしてしまいました。

安全運転には気をつけていたつもりなのですが、魔が差したとでも言うのでしょうか、集中力が散漫になっていたのでしょう。

こうして私は交通事故の加害者になりました。

いくらを気をつけていても、交通事故に巻き込まれることもあります。

自分は大丈夫と思っていても事故を起こしてしまうことがないとも限りません。

改めて運転には細心の注意を払いたいものです。

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2006年9月16日 (土)

秋祭り

秋祭りの季節です。

今週、来週と伊南各地の神社でお祭りが催されます。この日に向けて、時間もお金もたくさんかけて準備を進めてきた人たちが大勢いるはずです。お天気がよければいいのですが・・・

飯島町にある梅戸神社もこの週末がお祭りです。朝、集会所に集まりお祭りの飾り付けをしてきました。

初めて参加したので何をしていいのかウロウロするばかりでしたが、竹笹を組んで門のようにしたり、紅白幕をつるしたり、幟を立てたりとどんどん集会所の周りが飾られていきました。

なるほど、毎年こうやってお祭りを迎えていることが良く分かりました。地区の各個から1名づつ参加しての準備でしたが、こうして顔を合わせることも大切なように思います。お年寄りが若い人に、「兄ちゃんはどこの息子だい?」なんて声をかけながら、地域のつながりができていきます。

役員の皆さんが事前の準備をしてくださったおかげで、1時間もかからずに作業は終えました。短時間ですから負担感もありません。こうして地区の皆さんが顔を合わせてお祭りに携わっていくようなコミュニケーションが地域のつながりなんだなあといまさらながら感じました。

今夜の花火、楽しみです。

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2006年9月 6日 (水)

小学生はどこ?

長男が来春小学校へ入学します。

小学校から連絡往復袋というものが届けられました。これから入学まで数回連絡事項等があるようで、その書簡を入れる封筒です。

その往復袋の受け渡しを現在小学校に在籍する児童を連絡員として行うので、児童名を書くようにとのことでした。

我が家の隣組には小学生がいません。さあ弱りました。近所で知っている小学生もいません。

結局、保育園のお友達の兄弟にお願いしましたが、皆さんどうしているのでしょうか。

近所のどこに小学生がいるのかすぐに思い浮かばないほどこの地域も少子化が進んでいるのですね。

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2006年9月 1日 (金)

社会起業家は生まれるか

駒ヶ根青年会議所の仲間と先日議論しました。「どのようにしたらこの地域で社会起業家を育成できるのだろうか」と。

社会起業家とは、地域や社会の課題をビジネスとして解決をし、より良い社会作りに取り組む人たちのことです。

地域の自立とか、住民との協働を叫ぶ自治体にとっては心強いパートナーとなるでしょう。

では、そんな社会起業家がいるかと周りを見渡せばそう簡単にいるものではありません。

地域の課題を解決するために行動するボランティアや自治会の役員はいますが、それをビジネスにして生計を立てるという発想はこれまでなかったのではないでしょうか。

どんなことを仕事にできるのか?採算性は見込めるのか?

社会起業家と呼ばれる人たちは、その事業が採算が見込めるから始めるというよりも、その事業がどうしても必要で自分がやらなければならないという使命感で始める人のほうが多いのではないかと思います。

社会や地域のあり方に疑問を抱き、自分自身の生きがいをその解決に見出し事業化する人たちが社会起業家の姿のような気がします。

そんな人たちをどうやってこの地域に増やしていくことができるのでしょうか。

地域の自主性と自立性が問われる時代に、社会起業家の存在は地域の地力を付けていく上でどうしても必要です。

ボランティアの延長線上では限界があります。

ビジネスとして取り組むわけですから、それに専心できる人でなければなりません。

業態転換を考える既存の事業者でもいいでしょう。

大学生などのやる気のある若者もいいでしょう。

都会から伊那谷に住まいを求める人もいいでしょう。

青年海外協力隊の隊員皆さんなどは高い志を持つ”有力候補者”です。

そんな人たちが、社会のために、地域のために志を形にしようと伊那谷に来てもらえるような、社会起業家を育てるしくみが地域に求められるのだと思います。

どうやってそんな人たちを探し、私たちのまちで起業してもらうのか。

人材の発掘と、社会起業家が起業しやすい支援策に地域としてどう取り組んだらよいのかを明確にする必要があります。

私も青年会議所(JC)卒業まであと実質3ヶ月です。

仲間と、このテーマについてしっかり議論していこうと思います。

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2006年8月23日 (水)

志民の力

信州飯島お陣屋祭りが本年で打ち切りとなりました。

財政状況も厳しく、マンネリ化や地域での盛り上がりに欠けるなどの状況を踏まえ、運営の主体である飯島町が決断をしました。

お祭りという大イベントがなくなったことで、少しほっとした気持ちもあります。

その一方で、このままお祭りがなくなってしまっていいのだろうかという不安もあります。

まちをあげての夏祭りのないまちってどんなまちでしょう。

地域のお店や企業が一つ減り、二つ減り寂しくなっています。行政も財政が厳しいと街づくり事業の見直しをしています。

そんななかで、飯島という地域の魅力や活力はどこに見出せるのでしょうか。

お祭りも25年続けば、そこには伝統や誇りが生まれていることでしょう。それらを、私たちの世代が手放してしまっていいものか。

お祭りによって地域に生まれる人や物やお金の循環は、こんな時代だからこそ必要ではないでしょうか。

何よりも飯島に住むアイデンティティを、お祭りへの参加によって住民が感じる機会を無くしてしまうことにはならないでしょうか。

何が何でもお祭りをやりたいとか、これまで続いてきたお陣屋祭りを継続させたいとか、そういう思いではありません。

この地域の財産を子供たちに伝えなくて良いのだろうか。この地域に活力を生み出す場を創造しなくて良いのだろうか。そういった強い危機感から、夏祭りの存続模索の必要性を感じます。

「いいじま志民フォーラム」という会の設立を数人の仲間と話し合いました。

地域の課題を住民が自ら考え、行動し、解決していく、そんな組織を立ち上げたいと思っています。

ただ、地域の課題を解決する組織なのか、来年のお陣屋祭りを考える会なのか、相談した仲間も整理が難しいようです。わたしも、どのような会を立ち上げたらよいか手探りではあります。

しかし、その基本には地域課題解決のための志を持った住民=志民の会というねらいを持っていたいと思います。

まずは、2007年のお陣屋祭りをどうする?みんなでうまい方法を考えようよ!という会として立ち上げに向けて、みんなで考えていきます。

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2006年8月17日 (木)

中国からの便り

中国の友人から本当に久しぶりに便りをもらいました。

1993年秋から94年の春にかけて中国長春市に中国語を学びに滞在していました。私は長春市にある東北師範大学に併設されていた外国人向けの語学教室に通っていました。

語学を身に付けるには、現地の人たちの暮らしに接するのが一番です。当時、同大学の学生だった孫君は私が初めて友達になった中国人でした。

ここ何年か、お互い音信がなく気にかけてはいたのですがついつい筆不精になってしまっていました。そこへ彼から、近況を知らせる便りが届きました。

実家のある河南省の市役所に勤務していること。結婚して、子供ができたこと。とても懐かしく手紙を読みました。

彼とは、本当にいろいろな議論をし、日本のこと、中国のこと、世界のことを語り合いました。一緒に遼寧省瀋陽や撫順、彼の田舎の河南省各地を旅もしました。

年齢は彼のほうが7~8歳くらい下なのですが、ほとんどいつも一緒に行動し、いろいろなことを教えてもらいました。

当時では想像もできませんでしたが、いまやe-mailで交信ができそうなので、これからは頻繁に交流ができそうです。

彼が今どんな暮らしをしているのか、日本についてどう考えているのか、中国はどう発展しているのか、彼の視点からみるさまざまな事象に触れることが楽しみです。

中国語のメールソフトが必要になりますかね!?

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2006年8月15日 (火)

与田切公園プール

飯島町の与田切川沿いに与田切公園プールはあります。

訳あってプールのお手伝いに行って来ました。

これまでは町営で飯島町が運営を行ってきました。

今年からは指定管理者制度というしくみを利用して町内の建設業者、旅館業者が飯島町の委託を受け運営しています。

飯島町が経費削減のために直接運営は困難と判断したことが背景にあると思われます。既存のウォータースライダーは老朽化のため使用不可能になっていますが、多額の改修資金がかかるため再開の目途は立っていないようです。

地域の施設を有効利用する意味でも、新規の事業開発や雇用創出という意味でも、ぜひ与田切公園プール事業は、モデルケースとして成功してもらいたいものです。地域の課題解決をビジネスの視点で取り組むコミュニティビジネスは、これからの地域経済のひとつの柱にしたい期待のビジネス形態です。

緑に囲まれた与田切公園プールに子供たちや家族の楽しい声がもっともっと響き渡るとうれしいです。

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2006年8月14日 (月)

見納め!ガラス張り知事室

家族で戸隠へ行って来ました。

途中、県庁の前を通りかかったので思いついてちょっと知事室を覗いてきました。

村井新知事はガラス張りの知事室で職務するつもりは無いとおっしゃっていますので、この知事室ももう見納めです。

知事はあいにく不在でした。

この知事室は県庁一階の休憩室のお隣にあります。新聞とか自動販売機とかあるので、誰でも一服しながら知事の職務の様子を見ることが出来ます。

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この知事室は田中知事の象徴的なパフォーマンスのひとつでした。しかし、面白かったんじゃないでしょうか。見世物みたいな感じですけど、県民にとっては親近感も感じることが出来たはずです。県知事や県職員がとっても身近に感じられるパフォーマンスでした。

村井さんもここで職務をするくらいの度量があれば、超田中!っていうイメージを持ってもらえるんでしょうけど、「視覚的な透明性を意味しているだけだ。」なんていう程度の発想しか持てないようでは・・・無理でしょうね。

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2006年8月 4日 (金)

夏祭りのないまち

飯島町の夏祭りお陣屋祭りが終わりました。祭りの主体である行政は、今回で祭りの打ち切りを決めています。

来年以降、夏祭りをやろうという声は上がっていないようです。

七久保地区ではぎおん祭りを開催しているようですが、まちをあげての夏祭りというものはこのまちからは消えてしまいます。

夏祭りのないまち・・・そんなまちでいいんだろうか?

これまでのお陣屋祭りという形式はさまざまな課題があり、現状のまま開催し続けるのは困難ということは理解できます。でも、25年間続いてきた地域の伝統や文化があっさりとなくなってしまってもいいのでしょうか。子供たちに残すべきものがお祭りという一大イベントのなかにはたくさんあるはずです。

お祭りによって、地域のアイデンティティを確立し、地域に愛着や誇りを感じることもあるでしょう。人やお金の流れを生み出す活力ともなりうるでしょう。

そんな夏祭りが地域から消えてしまったら。

地域の自立が求められ、地域の自力が問われている今、夏祭りを簡単に終わらせるわけにはいかないと思うのですが。

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2006年7月31日 (月)

お陣屋祭り theFinal

「夜の闇に浮かび上がるちょうちん神輿は優雅で美しい」

祭りを25年前に始めた先輩たちが思い描いたちょうちん神輿の雄姿が今年も飯島の夏の夜を彩りました。

7月29日信州飯島お陣屋祭りが開催されました。

商工会青年部神輿には青年部員・応援の皆さん合わせて100名を超える人が集まりました。南町、飯島町役場、農協も含めて参加者は総勢350人ほどとなり、今年で最後となる祭りを盛り上げました。

祭りの後の懇親会、参加してくれた皆さん楽しかったと言ってくれました。高校生から50歳少し過ぎたくらいの人たちまで、それぞれがいい汗かいて、満足してくれたみたいです。

♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊にゃソン、ソン♪

参加型のお祭りは、やっぱり楽しいですよね!

残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。

らいぞーさん

てるちゃん

のブログでキレイなお神輿が見れますよ。

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2006年7月26日 (水)

25年の歴史~最後のお陣屋祭り~

お陣屋祭りがいよいよ今週末に迫りました。

お神輿の出陣式のオープニングに簡単なスライドを上映することになり、役場にある写真資料を見せてもらいに行ってきました。

すべての記録はありませんでしたが、一番古いもので第2回のお陣屋祭りの写真を発見しました。

20年以上に及ぶ写真の数々を見せてもらいましたが、整備される前の駅前通り「広小路」や、グラウンドで10基以上のお神輿が花火の下で競う壮大なものまで、にぎやかかりし頃のお陣屋祭りを垣間見ることが出来ました。本当に多くの町民が汗だくになりながら関わってきたことがわかります。祭りの歓声が今にも聞こえてきそうな25年間の記録に触れました。

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2006年7月17日 (月)

青年海外協力隊

青年海外協力隊の訓練所が駒ヶ根にあります。世界各地の途上国へ技術指導に赴く日本の若者が約3ヶ月間ここで訓練し、それぞれの赴任国へ旅立ちます。地域のまちづくり団体 (社)駒ヶ根青年会議所(駒ヶ根JC)は、この駒ヶ根青年海外協力隊訓練所を地域の財産とし、国際協力事業団(JICA)や訓練所の皆さん、ここで訓練する協力隊隊員候補生、そして海外で活躍する隊員や帰国した隊員と交流をしています。

昨日、本日の二日間、駒ヶ根JC主催で「体験入隊」が行われました。地域内外の中学生にこの協力隊訓練所と協力隊の活動を理解してもらうために、毎年行っています。

ちょうど今週、駒ヶ根JCは、JICAから委託された海外の青年招聘事業を駒ヶ根市を中心とする伊南地区で実施しています。インドネシアからの青年を受け入れ、ホームステイや研修を行いました。今回の「体験入隊」もインドネシアにちなんで語学講座を行ったり、招聘中のインドネシア青年たちとの交流会を開催しました。

私も今日の午前中、スタッフとして参加しました。

「体験入隊」の取り組みも15年を超えるものとなりましたが、いわゆる地域の国際化を目指すと同時に、協力隊という資源が地域文化や経済に及ぼす可能性に期待して私たちは取り組んでいます。

協力隊を核として、人・物・金・情報の循環を生み出すまちづくりの事例をぜひこの伊南から創り出したいと思います。

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2006年7月15日 (土)

神輿登場~最後のお陣屋祭り~

14日、お陣屋祭りで競うお神輿がショッピングセンターコスモ21に展示されました。夕方すごい雨が降ってきましたが、神輿を組み立てる頃には雨も止んできました。

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飯島町商工会青年部神輿です。

この後続々と・・・と言っても全部で四基だけですが、お神輿が組み立てられ町内各所に展示されます。

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2006年7月 1日 (土)

みんなのお祭り?~最後のお陣屋祭り~

町民みんなが取り組めるお祭りに発展させたいという思いで始まったお陣屋祭りですが、果たしてそうなったのでしょうか。

飯島町には、飯島・七久保・田切・本郷の四つの地区があります。どうやら最後まで、この四つの地区で共有されたみんなのお祭りとはいかなかったようです。

お陣屋祭りは、飯島のまちなかのお祭りだという捉え方で、七久保や、田切、本郷の人たちにはあまり関心が高くなかったと聞きます。

中川村のお祭り「どんちゃん祭り」は20基あまりのお神輿が出てとても盛大です。

村全体のお祭りとして多くの村民が関わり、お神輿も地区単位で出しているそうです。毎年地区でお神輿を出すことはきついこともあるようですが、でも村民みんなが自分たちのお祭りだと思っている。

お祭りへの参加の仕組みが全町民あげてとできなかったところに、みんなのお祭りになりきれなかったお陣屋祭りの姿が見て取れます。

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2006年6月30日 (金)

美しい提灯みこし~最後のお陣屋祭り~

お陣屋祭りの前身は、飯島町商工会青年部が行っていた「ぎおん祭り」です。ぎおん祭りを町民全体で楽しめる、飯島のお祭りに発展させようと尽力された青年部OBの方とお話しました。

ぎおん祭りで青年部は、お祭りを盛り立てようとさまざまな試みを行ってきたようです。仮装行列、ゲームなどなど。試行錯誤を繰り返しながら、一番活気があってお祭りらしく盛り上がったのがおみこしでした。

このおみこしを中心に、一部の商店関係者だけのお祭りではなく、飯島町民みんなが我が町のお祭りとして参加し、楽しもうということで行政と連携してお陣屋祭りが始まりました。

陣屋は幕府直轄の天領であった飯島の歴史遺産です。この遺産を地域の宝として生かしていくためにも、その名を冠した祭りの名称に決まったようです。

みこしは、手作りで秋田の竿灯を模した提灯みこしとすることになりました。灯りは人の暮らしに欠かせないものですし、何より暗闇に浮かび上がる提灯みこしは美しい!

飯島で生まれ育った子供たちには、南駒ケ岳の雄姿と、美しい提灯みこしをしっかりと目に焼き付けておいてほしい。もしいずれ飯島を離れて、寂しかったり苦しいことがあっても、勇壮な山並みと美しいみこしを思い出してがんばってほしい。そんな願いでお陣屋祭りを立ち上げたと伺いました。

なるほど、お陣屋祭りのみこしは雄雄しく競うものと思っていましたが、美しく競うものだったのですね。

今年は、美しい提灯みこしを皆さんに見ていただきましょう。

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2006年6月23日 (金)

お陣屋祭り

お陣屋祭りとは、私の住む飯島町の夏のお祭りです。25回目の今年で打ち切られることが決まっています。

25年前に祭りの立ち上げに携わった先輩にお話を伺いました。

「子供たちがこのまちを好きになってくれるように。大人になっても飯島の思い出を持ち続けてもらえるようなお祭りにしたかった。」

話が進むにつれてだんだんと熱くなってくる先輩の様子に、25年前のお祭りへの意気込みが伝わってきました。

お祭りの運営資金の大半は町からの補助金でまかなわれています。市町村合併をせず、自立の選択をした飯島町は財政的に厳しい状況にあり、この補助金も見直さざるを得ないようです。かつて十基を超えた名物提灯神輿も、今は四基のみ。企業主体のお神輿はほとんどなくなってしまいました。マンネリ化して、お祭りの発展も期待薄。毎年、今年で最後と噂され続けていたお陣屋祭りは、今年で本当に最後を迎えます。

お陣屋祭りはこの地域に何を残したのでしょうか。

子供たちにとってお陣屋祭りとは何だったのでしょうか。

お陣屋祭りが地域に残したかったものは何だったのか、このお祭りへの参加を通して探ってみたいと思います。

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